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大正末期に中国人が
支那そば屋として
開店したのが酒田のラーメンの
始まりらしい
そもそもラーメンの歴史というのはそう古いものではなく、明治頃に開国によってできた中華街の中で食べられていたものが初めではないかとされる。そして、大正時代関東大震災のあとに焼け野原を屋台を引く「支那そば屋」が見受けられるようになって全国に拡がったのではないだろうか。
酒田ではいつから見受けられるようになったのかというと、大正15年に中国人が支那そば屋として開店したのが酒田のラーメンの起原とされている。その元祖である中国人から手ほどきを受け、今の大来軒、三日月軒グループにラーメンづくりの技術が受け継がれていったもののようだ。
現在、大来軒は、中央東町の本店、駅東支店、上安町支店の3店鋪。三日月軒は、北千日町の本店は店を閉じてしまったが、中町店、東中の口店、駅東店、今町店、相生町店、高砂店の6店鋪が営業を続けている。「月」の字の付くお店が酒田に多いが、三日月軒の流れを汲んでいると考えてもよさそうだ。
ラーメン店の始まりは東京でも大正時代とされているところをみても、酒田での出現は結構早い方であるとされている。昭和に入ってから酒田にもラーメン屋が増えはじめたようだ。
酒田の夜の街に
チャルメラが響き渡った
あのチャルメラって
何処からやってきたの?
昭和30年代前半には酒田にもチャルメラの音が流れていた。しんみりと冷えこむ冬空に犬の鳴き声がひときわ高い、静まりかえった街角ではるか彼方より聞こえてくる悲しき調べ
♪ドレミーレド ドレミレドレ〜
この旋律には不思議に食欲をよびおこされるものであった。この頃はインスタントラーメンも普及しておらず、無性に食べたくなったものである。(ちなみにインスタントラーメンの第一ブームは昭和37年頃より始まる。)当時は車の往来もほとんどなく、今よりもっと冷え込んでいた。何しろ道路ではスケートが出来る位だったのである。(スケートといっても長ぐつにくくりつける程度のもの。)屋台引きの親父さんは、長ぐつにわらを巻いて滑り止めにしていた。
チャルメラは16世紀末にポルトガルから渡来したものであり、ポルトガル語のチャラメラがいつの間にかチャルメラと変化して定着したものらしい。
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16世紀にポルトガルから
鉄砲と一緒に伝わってきたと
されるチャルメラ

お馴染みのどんぶりの
模様には古くから
中国に伝わる
魔除けの効果がある

酒田は日本でも
有数のご当地ラーメン
として知られるようになった
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